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高島市安曇川町在住の柿渋染めの染色作家、
山本玄匠(げんしょう)さんをご紹介します。

掲載されている記事は、2007年の取材時の内容です。

 
鮮やかな色彩で美しい作品
山本玄匠さんは昭和33年京都市の染色試験場で染色の基礎を学び、昭和40〜平成11年まで染色工場の技術指導と工場再建に尽力されました。当時は朝5時から夜11時まで働き、その腕を磨かれ、60歳で柿渋染めを手がけ始めました。ふつう柿渋染めというと、茶色系統の色がこれまでの柿渋染めでしたが、玄匠さん独特の手法で、茶色はもとより、黒・紺・スカイブルー、ワイン・ピンク・ベージュ・オレンジ・黄色・・・などなど本当に鮮やかな色彩になっています。  写真
カバンや帽子など多彩な作品たち。
染めてから100度の温度で2〜3時間生地を炊き上げるので、絶対に色落ちはしないそうです。そういう地道な作業により、美しい作品になります。近頃では皮も積極的に染色しておられ、その手触りはつやつやでなめらかです。 写真
見学者に必ず見たいと頼まれる
玄匠さんの手(工房にて)
 
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柿渋染めは世界へ
柿渋染めをはじめてまもなくデザイナー三宅一生氏に認められ、当時のパリコレクションでトップモデルだったナオミ・キャンベルに着用されるなど、その名声は確実に世界へと伸びていきました。このころ安曇川町北船木に「山本工房」を設立しました。 写真
立ったままでの作業が続く
 
やりたいと思う気持ち
多忙で睡眠時間も充分にとれない日が続き平成14年に、脳卒中で倒れられ意識不明の状態が3ヶ月ほどつづき、なんとか意識を取り戻しましたが左半身不随となり、自分が染色家であることも意識になかったそうです。ちょうどその中、京都国際会館で展示会が開かれるのに、医者の許可を得て、会場に入ったころに徐々に記憶が戻りそのときはまだ歩けなかったのですが、だんだんと工房へ行くようになり、そのうちもっとやりたいと復帰されたそうです。
 
障害をもっても
脳卒中で倒れられてから、少し足をひきずるなど、障害があるにもかかわらず日本全国、世界各国を飛び回っておられて、よく疲れないものだなあ、と感心します。 写真
工房に並ぶ色とりどりの作品。
 
今回、取材のために何回か、工房を訪れて、「工房を見たい!」という知り合いの人も一緒に同行したりと、玄匠さんのお仕事を中断させてしまったのに、快く、取材に応じてくださいました。ありがとうございました。感謝。感謝。
 
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